奈加あきら 「縄の美学」

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 かつての秘め事も、今は昔。
 性の多様化や情報過多、そしてSNSの発展により、妖しくいかがわしきアダルトな世界への扉が、ボーダレス化しつつある昨今。たとえば、“緊縛師”という肩書きを名乗る人物は巷に溢れ、誰もがポップに語れる分野になった印象を受ける。
 しかし、それでいいのか。
 緊縛師として30年近く第一線で活躍する奈加あきら氏に聞く、緊縛のなりたち、そして、美しきならわし。

「緊縛はそもそも“変態”のもので、表に出るものではありませんでした。緊縛がいつどうやって生まれ根付いたのかははっきりわかっていません」
 人間と縄の関係性は、太古より、刑罰で使用されていたことに遡る。
「罪人を縛り上げる罰に美意識やエロティシズムを感じるひとがいたらしい、という話はありますが、記録がないんです。いまのところ元祖とされているのは、明治末期から昭和初期に活躍した絵師である、伊藤晴雨ですね」
 新聞社に勤め、挿し絵画家として活躍していた一方で、大正5年、34歳のときから縛り上げた女性をモデルに責め絵を描き始めた伊藤晴雨。彼の“趣味”が後世に残ったことが、「緊縛のスタート」と見なされているという。
「浮世絵師の月岡芳年の絵を真似て、妊娠中の自分の女房を縛り逆さ吊りにし、近所の写真屋を呼んで撮影したこともあるそうです。縛り方もいまとまったく違います。荒縄でぐるぐる巻きにしているだけ。女性をお墓にくくりつけている写真もありますが、この時代にこんなことをしていたなんて、狂っていますよ。また彼が昭和3年に発行した『責めの研究』は、当時から好事家の間で名著とされていました」
 そんな彼を、世間一般は「単なるヘンな人」と認識していた。だが、根強いファンがあとに続き、彼の緊縛スタイルを継承してゆく。
「そういった伊藤晴雨ファンが手がけたのが、昭和22年から昭和58年まで発行されたSM系雑誌『奇譚クラブ』。団鬼六さんが小説を投稿し、のちに同誌で物書きとしてデビューすることで知られます。僕が師と仰ぐ緊縛師の濡木痴夢男さんも最初は投稿者で、のちにグラビアページで緊縛を担当するようになりました」
 濡木氏はそこで、現代の緊縛の原型とされるスタイルを確立。そんな彼と奈加氏が出会ったのは、“濡木緊縛”がSMアダルトビデオ界で確固たる地位を築いていた、30年以上前のことだった。
「80年代、シネマジックやアートビデオなど、専門メーカーが設立され、SMモノAVが盛り上がっていました。濡木さんはシネマジック立ち上げ時から、“緊縛係”として、現場の技師として裏方で活動していたんです」
 SMモノAVの現場で、AV女優を縛り上げる仕事をしていた濡木氏。奈加氏はある日、AVプロダクションの社長として、彼の仕事ぶりを目の当たりするのだった。
「所属女優の様子を見に、撮影現場に行ったときのことです。SMや緊縛なんて、まったく興味がなかった。女を縛って鞭を打つなんてバカがおまえらは、と思っていたくらい。それなのに……」
 手際よく女優を縛り上げる濡木氏を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。視線をそらせず、しばらく動くことができなかったという。
 すごいーー。
 強烈に心を奪われた奈加氏に、濡木氏が声をかけた。
「キミ、好きなの?」
「いや、正直、今日の今日まで、ここにくるまで否定的でした。でもいまは、ちょっと……面食らってしまって……。言葉になりません」
 濡木氏は「ああ、それは嬉しいな」と口角を上げ、自身が主催する月に1度の緊縛愛好家の集い「緊縛美研究会」に、奈加氏を誘う。
「それから約5年間、毎月必ず通いました。のめり込みましたね。濡木さんは50代、僕は30歳くらいでした」

 思わぬ出会い、自身も驚きを隠せなかった奈加氏。まさかこの日から30年あまり、職業として携わることになるとは、このときは知る由もなかった。

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 緊縛師・濡木痴夢男氏に誘われ、緊縛美研究家に足繁く通うことになった奈加あきら氏。
 研究会には、様々な人間がいた。幼少期から願望があった者。思春期に見た女性を縛り上げるエログラビアが忘れられず、緊縛欲をふつふつと募らせていた者。ただ、奈加氏のように、30歳をすぎて目覚めた者は、ひとりもいなかった。
「通い始め当初は、会社の男性社員を縛らせてもらっていましたね。おまえでいいから、なんでもいいから縛らせろ! と(笑)。だって、覚えてすぐに縛らないと忘れてしまいそうになるから。それに、生身の人間じゃないと練習にならないんですよ。マネキンを使う人もいますが、あれは意味がありません。人間は肉づきや肌の硬さなど、人それぞれまったく違いますから」
 そうした違いを肌に触れたときに瞬時に判断し、緊縛の強弱を調節するのが奈加氏の仕事でもっとも重要なことのひとつだが、経験値の浅い30歳の奈加氏は当然、そんなことは知る由もなかった。
「相手の肉が硬かろうが柔らかかろうが、同じ強さで縛ってしまうんです。それで無理が生じて、怪我をさせてしまうこともある。やっちゃったな、と思うことも……うわー……思い返すといっぱいありますよ。最初からすごいひとはいませんから。武者修行というか、数をこなして経験値をあげないと」
 奈加氏の経験値を上げるのに一役を担ったのは、当時の恋人だった。
「まず彼女を口説きました。温泉旅行かなんかに行ったとき、『実は俺、緊縛にすごく興味を持っていて』と話すと、彼女は『面白いじゃないの』と理解してくれました。まあ恋人なので、単純にセックスを楽しんだだけですけどね(笑)。彼女はアダルト業界の人間だったので、抵抗感がなかったのかもしれません」
 緊縛美研究会に通い、恋人を縛りーーそんな日々が5年ほど続いていたある日、シネマジックの社長が、奈加氏に声をかけた。
「おまえ、緊縛師としてデビューさせてやろうか」
 ただし、濡木氏のように技師として現場に携わるのではないようだ。社長の目論見はこうだった。
「『緊縛師になりたいなら、役者をやれよ』と言うんです。なぜかというと、濡木さんは裏方で、あとの責めはAV男優がやっていましたが、社長は、縛りから引き続き女優への責めも緊縛師にやってもらいのだと。で、僕に白羽の矢が立ったわけです」
 緊張しいを理由に一度は断ったものの、「じゃあいいよ、ほかのやつにやらせるから」とうそぶく社長は、奈加氏が頷くことを初めからわかっていたのだ。案の定、「やります」と威勢良く返事をした奈加氏だが、思った以上にやらなければならないことは多かった。
「縛って、セリフを覚えて、女優を責めて……オールマイティにやらないといけないんです。縛りが悪いと文句を言われるし。俺は裏方でいたいのに、俺を祭り上げたのはあんたたちでしょう!? と愚痴りたい気分でした(笑)。でもおかげで、有名になるのも早かったですね」

 SM界にその名を轟かせ始めた奈加氏はその後、自身の知らぬところで海外にも影響を与えてゆくのだった。

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 いま、“緊縛師”と検索すると、有象無象の人物が緊縛師としてヒットする。
 だがかつて、その存在はほんのひと握り。奈加氏が師と仰ぐ濡木痴夢男氏、そして明智伝鬼氏、雪村春樹氏の3巨頭を中心に、有末剛氏や乱田舞氏など、限られた人間のみ、“緊縛師”の肩書きを名乗ることができたのだ。
「僕が緊縛師としてご飯を食べられるようになった頃、SMビデオの世界では、乱田さんをライバルだと思いお互いに切磋琢磨していました。僕たちには共通点があったんです。裏方ではなく、“出演できる、新しい緊縛師”という共通点が」
 ユーザーは“奈加の責め”“乱田の責め”をSM作品で目の当たりにし、それぞれ派閥のようにファンを有した。縛り、出演し、そのうち緊縛ライブを開催するようになると、客の目の前で縛り上げる。そうしたスタイルを続け、時はSNS隆盛期。2013年4月、ロシア・モスクワのSMイベントから、出演オファーが届く。
「世界中から緊縛師が集まる大きなイベントで、僕は日本人第一号として呼ばれたんです。そこで驚いたのが、現場で緊縛に使用する竹を探していると、『俺のを使ってくれ』と、外国人が次々に竹を差し出してきたこと。なんでロシアの地に緊縛用の竹を持つ外国人がたくさんいるの!? と、びっくりしていると、『あなたのビデオを見て、みんな竹を使っているよ』と言うんですよ」
 本人の知らぬところで、海を越えていた影響力。そんな彼らの緊縛は、「激しい」の一言だといい、奈加氏が「荒っぽすぎて、女性モデルの体は大丈夫なのか」と心配してしまうほどだった。
「ロシアも、ヨーロッパもそうですが、彼らのSM文化は加虐と被虐のコントラストが強いように思います。刑罰に関しても、むごいものが多いじゃないですか。日本はたとえ刑罰でも、美意識が高い。罪人を縛ることひとつとっても、藩によって縛り方が違ったり、罪人に着せる着物が決まっていたり、情緒がある。人種や宗教の違いが大きいので、日本の緊縛をそのままやれというのは難しいですよね」
 モスクワでのイベント出演後、すぐにロンドンからオファーがあった。彼らは、「なぜモスクワに行ったんだ! あなたは心筋梗塞で飛行機に乗れないと聞いていたから呼ばなかったのに。飛行機に乗れるんなら、俺たちのほうに先に来て欲しかったよ!」と怒っていたという。
「15年ほど前、心筋梗塞で死にかけたんです。直後は確かに飛行機には乗れませんでしたが、僕自身も、若手がどんどん海外に呼ばれて行っているのを横目に、『なんであいつが呼ばれて、俺は呼ばれないんだよー』と、ちょっと悩んでいたんです(笑)」
 その後、毎年3、4回は海外に飛び、イベント出演やワークショップを開催。奈加氏の緊縛スタイルを継承する弟子も、世界各国に存在する。
「特にイタリア人の弟子は熱心ですね。外国人は立って縛るのがベーシックなんですが、彼は座って縛るんです。『奈加さんのビデオの世界をずっと勉強してきたので、僕も座って縛るんです』と言っていて、とても感動しました。彼に限らず、とにかく勉強熱心で、ワークショップでは休憩時間も質問が飛び交うほど、意識が高い」
 彼らの熱量に胸を熱くする奈加氏だが、一方で、こう危惧するのだ。「日本人は、負けています」と。
「そもそも、日本人緊縛師が海外に飛べたのは、“現代緊縛”を謳い活動するHajime Kinokoさんの功績が大きいです。彼が海外進出したことで、日本人緊縛師が海外へ行く道筋ができました。ただ彼は、AVが系譜にある僕らとは違い、アートとして緊縛をやっている。彼に続く人のなかには、『俺たちがやっているのは、エロではない』とはっきり言う人もいるんです」
 耳ざわりのよい“アート”という意識が根付くと、それまで「秘めた変態行為」と敬遠されていた緊縛が、いっきにポップに、間口を広げてゆくのだった。

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 当たり前のようにエロティシズムがともなっていた、かつての緊縛。しかし、現在はというと。「彼らは総じて、『綺麗に縛って、綺麗に見せる』ことが目的です」と、奈加氏は話す。
「僕らの緊縛は、人間と人間のドロドロしたものの成れの果てといいますか、意識が別物なんですよね。彼らはエロを一切入れないので、縛る前に女性モデルに、『触っていいですか?』と許可を得なきゃいけない。フラワーアレンジメントと同じ感覚だと思ってもらえたら、わかりやすいかもしれませんね」
 さらに近年は、縄が簡素化され、万人が簡単に縛れるようになった。
「縄が簡素化されたって、僕が何年間も下積みしたように、緊縛はそう簡単に誰にでもできるものではありません。でも敷居が低くなり、“緊縛師”という肩書きがライトになったいまは、飲み屋で一度縛っただけで『僕は緊縛師です』と名乗ることができてしまう。だけどね、考えてみてくださいよ。“師”という言葉が使えるのは、それでメシを食っていける人だけです。本業が別にあって趣味でやっているような人は、“緊縛師”ではないはずです」
「技術も知識も必要で、誰でもできることではない。緊縛は、覚悟が必要」と語気を強める奈加氏が指す、覚悟とは。
 一歩間違えれば、大怪我を負うかもしれない、覚悟。
 にも関わらず、相手に自分の身をすべて委ねる、覚悟。
 縛られ、目隠しされ、死をも念頭におかねばならない、覚悟ーー。
「ここ数年、大怪我をさせて逃げ回っているヤツがいるとか、ワークショップで大金を取られたとか、『わたしもあいつに怪我をさせられました!』と女性モデルが次々と声をあげるとか、そういった事件が多くなりました。縛る方も縛られる方も、覚悟をしてほしいんですよ」
 そうした覚悟は、本来、相手との信頼関係のうえに成り立つ。
「僕はAVの仕事で縛る際、女優さんと少しでもコミュインケーションを取ろうとするし、下調べもします。そうすると、『この人、私のことを知ろうとしてくれたんだ』と安心するから。だって、どこの馬の骨かわからないやつに縛られるなんて、イヤじゃないですか」
 単に、綺麗に縛っておしまい、ではない。相手は血の通った生身の人間であることを、忘れてはならないのだ。
「僕が著名な緊縛師だからといって、相手はいきなり心を開いて飛び込んでくるわけではありません。相手の肌に触れ、じわじわと様子を見て、どんな反応が返ってくるかによって、縛り方や責めどころを探ります。それが緊縛の楽しさのひとつ。女性モデルさんのなかには、会ったそばから後ろに手を回す人がいるんですけど、僕は『それはやめて』と言います。それって、早くシテほしくてパンツを脱いでいるのと同じ行為ですから」
 徐々に肌に食い込む麻縄のように、肌と心の距離をじわじわと詰める。なんとも濃厚でエロティックな空気が、奈加氏の口ぶりから漂ってくるではないか。
 だからこそ、奈加氏は念を押す。「緊縛は特殊な行為。舐めたらいけない」と。ならば、緊縛の世界に興味ち始めた初心者は、どうすればよいのか。
「たとえばカップルで緊縛プレイをしたいとします。多くの場合は彼氏発だと思いますが、いきなりごっつい縄を出してきて『今日はこれで縛るぞ』と言われても、断られるに決まっています。段階が必要なんですよ。まずね、おまえの家の四畳半じゃあダメなんです」
 たとえば、温泉旅行に行く。風情ある旅館の一室で、肌を重ね合わせるとき、彼女の浴衣の帯をするすると解きながら、耳元で、こう囁く。
「今日、これで縛らせて?」
「浴衣の帯で、ちょいと手首を縛るだけでいいんです。縛って、手をキューっと上げてゆき、胸でも揉めば、そこで彼女は火がつきます。手首を縛られただけで、その夜のセックスは、相当いいものになるはずです」
 彼女の前に縄を出すのは、そういった“初体験”のあと。
「『この前、あまりにも興奮して、ついに縄を買っちゃったんだよ。実は俺、縛りを覚えたくて』なんて言って、協力体制に持っていくんです」
 また、実際に縄を使用する際には、やはりプロの緊縛師から勉強することが、お互いの様々なリスクを減らすことに繋がる。
「見よう見まねでやるのは、やめたほうがいいです。まずは、教えてくれる講習会などに顔を出すのがいいですね。もちろん、僕が主催する『縄奈加會』に来てくれたらうれしいですけどね。ぜひ、気軽にツイッターをフォローして、DMを送ってください」
 人を、緊縛する。
 生死表裏一体、究極の官能美の世界、足を踏み入れるのは、まずその歴史やならわしを学んでからでも、遅くはない。

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